今日は全員協議会が開かれました。議題は加古川河道掘削について。
平成16年、台風23号の豪雨で加古川水系が氾濫、流域の自治体に大きな被害を及ぼしました。それ以降、上流の被害地域の要望で加古川の流下をスムーズにするため中洲に堆積した土砂・草木を掘削する「河道掘削」が行われました。
今年度、新たな計画が策定され、10月下旬から工事が着工されています。
問題は、10月19日に市長が国土交通省姫路事務所から説明を受け、高砂市としての意見を述べ、結果として「問題なし」という返事を返していたこと。これをうけ、10月26日に兵庫県経由で国から「河川法」に基づく河川整備計画に対する意見書の回答を求められていることが明らかとなりました。
H20年以降、「うるさい議会」の後押しを受け河川管理者の国(姫路事務所)と高砂市の間でせっかく「連絡調整会議」が設置されていたにも関らず、会議の開催はおろかその存在すら忘れていたのです。
〈根底には加古川の氾濫と渇水に悩まされ続けた歴史が〉
なぜ、高砂市が「水にうるさい」のでしょうか。議員になりたてのころ、先輩議員によく「水の歴史」について教えていただきました。高砂は加古川の最下流、大昔は氾濫と渇水の繰り返し、「加古川の氾濫を治め、渇水時にも水を確保する」ことは住民にとっての死活問題でありその教訓から先人たちが治水に力を入れ、農業用の水利権を勝ち取ってきた。現在の水道・河川整備はその恩恵を受けているに過ぎません。「水の大切さ、怖さ」が身にしみていたからこそ、最下流の地元住民としてお上に物申す姿勢を貫いていたのです。
この歴史、これまでの経緯を十分認識していればこのような事態にはならなかったはず。
国の計画に安易に流されることなく、「高砂の利水・治水」について、市民・議会に報告、議論を経た後に結論を導くという行政としての基本スタンスがとれていません。
9月の台風12号被害と合わせ、「高砂の水の歴史を忘れるな」との警鐘が鳴らされているような気がします。
水道の歴史については昨年5月にもhttp://www.kitano-seiichiro.net/?p=193
今日の1曲 Jimmy cliff/ Many Rivers To Cross